サラリーマン政治家
きょうごく ゆきむら
京極幸村
(31歳)
八郎潟町議会議員
株式会社ISモーゲージ
バスケットボールトップリーグ担当審判員(2019-2023)
バスケットボール指導者(U-15)
京極幸村
(きょうごく ゆきむら)
○八郎潟町町議会議員(2021~)
○株式会社ISモーゲージ
○八郎潟中学校男子バスケットボール部外部指導者
○トップリーグ担当審判員(バスケットボール)
所属:教育民生常任委員会、議会広報編集委員会副委員長、八郎湖周辺清掃事務組合議会議員、全国若手議員の会、
秋田県若手政治家ネットワーク、秋田新時代創造ネットワーク、プロジェクト8、異業種交流会メビウス、クラウド
History
1992/12/20
誕生
4人兄弟の3番目として誕生。名前の由来は戦国武将の真田幸村から。
名付け親は父。なお他の候補は蘭丸だったよう。
1999
八郎潟小学校入学
2年生時に兄の影響もあり琴を習い始める。(高校生まで継続)
4年生時にバスケットボール部に入部する。最終学年では主将を務めるが、学級委員等には無縁の人間であった。卒業文集は部活の反省文のような仕上がりに。
2005
八郎潟中学校入学
バスケ部に入部。
ここでも最終学年で主将を務めるが、学級委員等には無縁の人間であった。
2008
秋田高専物質工学科入学
16歳時にバスケットボール審判員の資格を取得する。その後に当時最年少で日本公認審判員の資格を取得する。
授業、自習、実習、レポート、バスケット、アルバイトと毎日を慌ただしく過ごす。
2013
第一三共プロファーマ株式会社入社
薬の製造・分析業務を主に担当する。
東京・神奈川での生活を経て地元秋田へ配属となる。
中学校教員になって子供たちの人生に貢献したいと考え、明星大学教育学部に社会人入学をする。
夢をより現実にするために、東京にある明星大学を中退し、秋田大学教育学部を受験。しかし、実家の父の病気もきっかけとなり大学入学を断念する。
秋田市内で一人暮らしをしていたが、介護を手伝うため八郎潟町へ戻る。八郎潟町内に家を建て、両親と暮らす。
2021
株式会社ISモーゲージ入社
八郎潟町議会議員初当選
人との結びつきが強く、かつ社会貢献に繋がる仕事を追い求めた結果、政治という道標を見つける。兼業不可の前職を退職し、(株)ISモーゲージに入社。佐々木社長の応援により、会社員兼議員として活動中。
人が減り、店が減り、活気が減り・・・。この町で過ごした少年時代はとても楽しい思い出ばかりですが、大人になり、時とともに色んなものが減っていっていることに気が付きました。
県外に出て行った友人たちがこの町に帰ってこれるのだろうか。子どもたちがこの町に残りたいと言った時に、残れる環境になっているのだろうか。
いま多くの地方が負のスパイラルに陥っています。これをプラスに転換しなければならない。工夫と知恵を絞れば何とかなるはずです。この町を支えてきた先輩方と、若い僕らの力を合わせてこの町をより良くし、次の世代に良いバトンを託したい。根幹にある想いを胸に活動しています。